中村錦之助・映画祭り
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錦之助は生きている……

明るい錦之助が好きだ。気風が良くて、ちょっと粋がって、べらんめえ調で、強がりを言って……、しかも、錦之助は、あの甘くてとろけるような美しい顔立ちで、胸のすくような啖呵を切る。これは、もうたまらない。「よっ、いなせなお兄イさん!」と声を掛けたくなる。男ながらに惚れ惚れとしてしまう。

女に惚れたときの錦之助も好きだ。はにかんだ表情がなんともいえない。しかも、錦之助は女にとことん尽くす。あの甲斐甲斐しさ!女が病んで弱っていれば、飯を炊いておかずを作って……、やさしい言葉を添えてそっとお膳を差し出す。こんな真似はそうはできない。惚れた女と離れ離れになるときは、女のかんざしを懐に入れ肌身離さず持っている。なんと女思いの男なのだろう。

度胸を据えたときの錦之助も好きだ。きりりと締まった真顔がいい。凛々しく、すっきりした晴れがましさがある。

男同士で語らう錦之助がまたいい。相手の男は、東千代之介が思い浮かぶ。が、誰であろうと、錦之助といると相手も引き立つ。相手に対する人情がにじみ出て、男同士の心の交流がひしひしと伝わってくる。

中村錦之助がずっと好きだった。今でも好きで、錦之助を好きな気持ちは死ぬまで変わらないだろう。こんなことを言うと、錦之助の女性ファンと間違われるかもしれないが……、私は男である。任侠の世界では、男が男に惚れる、なんてことを言うが、錦之助への思いはそれとちょっと似ている。錦之助は、男が憧れる「いい男」の代表、日本人の心のなかにある理想の男である。

中村錦之助。この名前の響きだけでも懐かしさがこみ上げてくる。正直言って、萬屋錦之介という名前は、どうもなじめない。なにか別人のような気がする。大好きな錦之助は、昭和30年代東映時代の中村錦之助である。
当時は映画館へチャンバラ映画を見に行くことが子供の最大の喜びだった。錦之助を真似てチャンバラ遊びに夢中になっていたことを思い出す。大ファンだった錦之助にすっかり成りすましていた。錦之助は、生まれて初めて憧れた人だった。

それから、50年以上経つが、今になっても無性に錦之助の映画が見たくなる。錦之助に会いたくてたまらなくなる。なぜかと思うのだが、きっとこうした渇望は子供の頃の原体験に根ざしているのかもしれない。心の無意識裡に錦之助が棲んでいるような気もしている。

きっと、錦之助は私たち日本人の心のふるさとにいる人なのだろう。彼の熱烈なファンは、自分の追い求める理想の日本男児に錦之助をダブらせているにちがいない。私たちが生きている限り、錦之助は生きている……。

錦之助映画ファンの会 
代表 藤井秀男