セザムだより 第九号
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会社再生への遠い道~『ダジャ単』発行のあとさき~ (2006.1.17)
出版社を興して、早いもので2年4ヶ月になる。エコール・セザムという出版社の知名度は今イチだが、『ダジャ単』という私の本のほうは、だいぶ世間に知れ渡ってきたようだ。東京と大阪の大学受験生100人にアンケートを取ったとしたら、2人は持っていて、10人以上は本の名前を知っているかもしれない。確信はないが、自分勝手な予想をしている。初版発行が2004年のクリスマス・イヴで、『ダジャ単』は英単語が憶えられず苦しんでいる若い人たちのためのプレゼントだった。
それから約1年。その間、NHKのテキストや週刊誌に広告を掲載し、ラジオでも紹介してもらった。すでに4刷目で、たいした数ではないが、1万5千部は完売したと思う。それとは別に、全国の高校・予備校・塾あてに広告チラシ入りのDMを1万通ほど出し、予想外に多くの英語の先生方から請求ハガキをいただいた。「無料献呈」という文句が効いたようだ。献本数、なんと約1,000冊。定価840円の本とはいえ、ずいぶん贈ったものだ。ハガキが届くと、著者の私自らが1冊ずつ茶封筒に入れ、宛名を書いてメール便で送ってきた。でも、努力は報いられた。札幌の某高校や姫路の某予備校では100冊まとめて買っていただき、感謝感激。きっと生徒みんなに使わせているのだろう。ここでは100人に聞いたら100人全員が『ダジャ単』を持っていると答えるだろう。
ところで、エコール・セザムという出版社には、社員が私のほかにだれもいない。仕事のほとんどを私一人でこなしている。本の執筆、編集、DTP、校正から、広告宣伝、電話受け、ホーム・ページの更新、経理、書店営業、取次への本の搬入、その他、なんでもござれ、である。はっきり言って出版社ではなく単なる出版者だが、これでもいちおう会社法人である。正式名は有限会社セザム進学会。本社は東京都千代田区飯田橋にある。本社といっても賃貸の小さなワンルーム・マンションにすぎない。この会社、社名でお分かりのように、以前は学習塾だった。塾は18年続いた。私は塾長兼英語講師で、最盛期には約250名の中学生・高校生がいた。それが、どんどん減って、ラスト3年間で経営が困難になった。授業料から家賃と講師のバイト代を引くと常に赤字。私の給料はこの間ゼロ。それどころか会社に私個人の貯金をずっとつぎ込んでいた。ついに貯金も底をつき、塾を続けるのは限界だと観念した。が、会社を畳めば、私が貸した金 (1,500万円だ!)も、全部パーになってしまう。なんとか職種を替えて会社だけでも存続できないものかと私は思案に暮れていた。
そんなとき、転機が訪れた。4年ほど前のことだ。人との縁というのは不思議なもので、塾に出入りしていた印刷業者が某出版社の編集長に私を紹介してくれたのだった。早速英語の本を書かないかという話になって私は制作に入った。1年ほどかけ、ワープロで『英単語呂源』という本をほぼ完成させた。ところが、最終段階でこれがお流れになってしまった。出版の話を持ちかけた編集長がリストラに会い、首にされてしまったからだ。が、せっかく苦労して作った本をなんとか出版する方法はないものか。
私は原稿を持って、出版社を回った。手紙を添えて原稿を送ったところもある。しかし、どの出版社からも私の労作はボツにされた。ボケ編集者たち!今に見ていろという心境になった。次に私は自費出版の道を考えた。調べてみると、制作費を自分で払って、編集・装丁を任せて本を作ると、それを流通ルートに乗せ、書店で売ってくれる。増刷するとはじめて印税がもらえるとのこと。しかし、これを知ってなんだか馬鹿馬鹿しくなった。自費出版ではなく、自主出版、今はやりのインディーズで行こうと私は決心した。塾の看板を下ろし、出版社に鞍替えしてしまえばいい。その方が儲かるかもしれないし、やり甲斐もある。
そのとき、出版社というのはどうやって作ればよいのか、正直言って全く知らなかった。あきれた話だ。私は首になった編集長を招いて、出版流通に関するレクチャーを受けた。もちろん給料を払って。そして、印刷会社や流通関係の知り合いを紹介してもらった。地方小の川上社長もその一人だった。さらにずっと塾をやっていたことも幸いした。神保町にある学参の問屋とは長年取引があった。ここから市販教材を買っていたからだ。おかげで問屋である取次会社二つと契約を結ぶことができ、出版社としての第一歩を踏み出せたのだった。忘れもしない。2003年9月末、『英単語呂源』という私の処女作は、ラッキーなことに、首都圏約50店、地方都市約70店の書店にばらまかれた。東京の多くの書店では平積みになった。いろいろな人から、学参も語学書も激戦区で、新規参入は至難だと言われた。が、私は自分の本に自信があった。
その後、『英単語呂源2』を制作・発行した。その間、書店営業の大切さも広告宣伝の効果も呑み込めてきた。ほかの出版社がやらないことでも、良いと思えばあえて試みてきた。
話は戻るが、『ダジャ単』という本は、『英単語呂源』(全二巻)の縮約ポケット版で、タイトルで察しがつくかとも思うが、ダジャレで憶える英単語集である。手前味噌になって恐縮だが、私が長年の歳月をかけて考案し、生徒を実験台にして好評だったネタを集めて作ったものである。ダジャレのすべてにはイラストが付いている。単語とダジャレとイメージの三位一体で憶えるから、まず絶対に忘れないというわけ。
さて、こんなユニークな『ダジャ単』、一万部以上売れたとはいえ、会社としては儲かったという実感がない。経営は相変わらず苦しい。その理由ははっきりしている。本が安いうえに、広告宣伝費を使いすぎたこと。『ダジャ単』を作ったために、『英単語呂源』の売れ行きが鈍ってしまい、結局この1冊だけで、会社の経費をまかなっていたこと。そして、1年間に新刊を1冊も出版しなかったことが最大の理由である。今私の抱えている悩みは、人の書いた本を出版する気持ちになれないこと、たとえ出版したとしても、はたして自分の本ほど熱心に宣伝・営業できるかどうか自信が持てないことだ。しかし、自分で書いて本を作るとなると半年に1冊がやっと。インディーズのつらいところだ。どうすればよいのだろう。会社再生の道は遠く、私が貸した金が戻ってくる日もまだまだ先のようだ。
2006.1.17 キス